2008年10月08日

クロスしまくりの2日間

どうも、アランスミシーバンドです。
Crossing Point、神戸も東京も、最高でした。ご来場いただいた皆さん、本当にありがとう。

このイベントが決まってからというもの、打ち合わせしてる段階からめちゃくちゃ楽しみで、自分自身でかなり期待を寄せていました。

ラブハンドルズのワカ氏とは、この話が持ち上がったときに初めて同じ大学出身だと知ったという状態でしたが、そこはさすが同じ時間を共有していた仲間、あっという間に打ち解けてしまいました。

僕がクラブ時代に歌っていたソウルアサイラムのRunaway Trainを聴いたことがきっかけで彼の洋楽への扉が開けた、と。今回の企画が持ち上がったとき、サンタラ砂田氏のクラブの先輩なる人物がまさかあのRunaway Trainを歌っていた人だったとは、と打ち上げで語ってくれました。

「ほんま、ようかっしーさんでしたわ!」と笑。

ラブハンドルズ ワカ氏、そしてミゾ氏、メンバー&スタッフの皆さん、ありがとう。Runaway Train、ライブで歌ってるとほんとにあの頃に戻ったような感覚になりました。


サンタラとは長い付き合いです。
どんな状況でも彼らと面と向かうと、お互い先輩後輩の目線になってしまう。打ち上げのときに、忘れ物をライブハウスに取りに帰った田村キョウコが飲み屋に戻ってきたときに、後ろから「先輩、はい。先輩も仲間だ」と言って僕の気付いてなかった忘れ物を渡されたとき、一瞬クラブの部室でふいに話かけられているような錯覚に陥りました。

それもこれもヤツの声のせいだ。
あの声はずるい。

サンタラのラスト曲は、僕がリクエストした「フラッグ」でした。
舞台裏で砂田氏のギターと田村キョウコの歌声を聞いていた僕は、涙が出そうになりました。
サンタラ両氏、ありがとう!

そして忘れてはならないのがアランスミシーバンドの面々だ。
思えばこのイベントの趣旨に直接関係しているのは自分だけだというのに、同じテンションで付き合ってくれたバンドに感謝!

またぜひやりたいこの企画。
懐かしい人に出会ったり、懐かしい曲に再会したり、懐かしい話を聞いたり、自分が思っている以上にクロッシングしました。


ずっと記憶に残るあったかいイベントができたんじゃないかと思います。

みなさん、またお会いしましょう。



アランスミシーバンド かっしー



posted by Crossing Point at 23:35| 東京 ☁| Comment(1) | アランスミシーバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

Kと僕の録音遍歴

アランスミシーバンド、かっしーです。

先日、Crossing Pointのフライヤーを持って、某京都外国語大学を訪れました。
せっかく行くのだからということで、当時のクラブの同期や大学の同級生と一緒に行きました。普段全員忙しい身であるにもかかわらず、奇跡的に5人が集まったのです。

前述のアメリカンフォークソング部時代、同じバンドで3年間を共にした、
Y、S。そしてバンドは違ったが同期だったH。クラブは違ったが同じクラスだったK。

昼飯は迷わず大学前のラーメン屋です。
注文するのも忘れて当時のことを好き勝手に話し始める我々は、徐々に当時の事を思い出していきました。ここで書くにはあまりにも恥ずかしく情けない想い出話ばかりでしたが、唯一音楽に関わる想い出として盛り上がったのが、Kと僕のレコーディングにまつわる変遷です。(ここで風景がぐにゃりとなり回想に入ります)

今思えば彼と仲良くなったのはただ単に名前がそっくりで出席番号(?)が近かったから、だと思います(この大学は生徒をアイウエオ順に並べてクラス分けするというものすごいシステムをとっていた。今はどうか知りませんが。。。)。

そんな彼が僕のクラブのバンドに興味を持ち、録音したい!と言い出します。
当時、僕らが使える機器といえばラジカセだけ。
ちょっと待てよ、二つラジカセを用意して、録音した演奏を流してそれをバックに歌って、もう一つのラジカセでその様子を録音する。。。重ねて音とれるやん!と二人で手をとって喜んだりしていました。

その時初めて多重録音、という言葉を知りました。

すると数日後、Kが青ざめた顔で僕のもとにやってきて言うのです。
「かっしー、一本のカセットテープに何個も重ねて音を録れる機械があるらしい」
どうもMTR(Multi-track Recorder)と言うらしい、と。

早速楽器屋に行き調査をします。
当時、8トラックのMTRは15〜20万しました。大学生の僕らにとっては相当な金額です。しかしこういうときのKの瞬発力というのは凄まじいものがありました。

「俺、買うわ。」そうつぶやいたKの目はもう常軌を逸していました。
僕は止めました。「K、わかってんのか!20万やぞ。使いこなせるかどうかもわからんねんぞ!」肩をゆさぶって説得するのですがKは目を合わさず、遠くの方を見つめながら

「かっしー、8つも音、重ねられるんやぞ。」と同じ事を何度も上の空で繰り返すばかり。

数分後、Kは「生まれて初めて組むローン」の申込書を前にペンを握っていました。サインするKの文字が震えていたのを今でもはっきりと覚えています。

488mkii.gif

買ったMTRを、二人して我慢できなくなってその当時の梅田阪急ファイブのトイレの中に入り、箱を開けて全容を確認したことも覚えています。TASCAM 488MkII。アナログレコーディングでは名高い、今でも根強いファンを持つ名器です。その黒光りしたフォルムにも衝撃を受けましたが、男二人が興奮しながらトイレのブースから出てくる光景を見た通りすがりのおっちゃんも相当衝撃を受けていました。

これがMTRとの出会い、そしてここからの経験が自分で曲を作って録るという行為につながり、ひいてはずっと後にバンドを組むきっかけを作ったといわれたら全くその通りだと思います。

そんな想い出のレコーダーで録音した最初の音源が発見されました。
主線を歌っているのが僕で、ハイトーンのコーラスがK。
曲は、ことごとく洋楽の趣味が違っていた二人が唯一共通して好きだった、
I'll Be There for You / Bon Jovi
恥を忍んで公開します!(Kに無断で)笑


いやあ〜恥ずかしい。でもこれは歴史的な音源だったのです。僕らにとって。
(ここでぐにゃりと現在に戻ります)


外大訪問の帰り道、Kとまったく違う話をしていると、こんな事を言うのです。
「こないだ、どうしてもトイレ行きたくなって、近くにあったYデンキに急遽入ってん。トイレ借りたし、なんか買わな申し訳ないと思って商品見てたら、めっちゃお買い得商品があってな。42V型のプラズマテレビ買ったわ。」



二十歳を超えたら性格は変えられんと言うが、あれは本当だ。





posted by Crossing Point at 23:13| 兵庫 ☔| Comment(3) | アランスミシーバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

ザ・ルーツ

雨音を聞きながらブログをしたためるとします。
アランスミシーバンド、かっしーです。

奈良の中学に通い大阪の高校に入学し、京都の大学へと進んだ僕は
大学時代、約2時間かけて奈良から京都に通っていました。
「通学は中途半端に長いよりうんと長いほうがいい」という独自の理論を発見し、電車の中でありとあらゆる活動をすることで異常に充実したトレインライフを送っていました。音楽、読書、睡眠、思考、人間観察。。。電車は発見の宝庫です。

ラブハンドルズ若林氏は当時「洋楽って何」状態ということでしたが僕は全くの逆で、邦楽とは?という状態でした。Cheap Trickとビートルズを友人に中学時代刷り込まれ、高校でイーグルスとスプリングスティーン、マシュースウィートという王道路線にどっぷりと浸かっていた僕は、同じ洋楽志向と言ってもサンタラの二人が挙げた様にCSN&Yやマリアマルダーなどを愛でるツウなレベルには至っておらず、クラブでも、完全なるロックナンバーをいかにしてカントリー風にプレイするか、というちょっとずれた試みを繰り返していました。

alterd beast.jpg
マシュースウィートや、バングルス、若林氏前述のソウルアサイラムなど、なんでそれを。。。という選択ばかりしていて、本来のブルーグラスからはほど遠いところに居たのです。


しかし、引退するころになって、クラブ内で遊びで組んだバンドで、ふいにGarth Brooksのもろカントリー曲「Callin' Batonrouge」という曲をやったとき、歌詞を見てすいすい歌えない自分に気付きました。なんだ、この詞の乗せ方。。。なんだこの歌い回し。。。なんなのこの声の抜き方。。。

3年もアメリカンフォークソングクラブというクラブにいて、カントリー音楽に初めて真正面から対峙した瞬間でした。これをきっかけにカントリー、ブルーグラスを聞いてみようと思ってみた時には引退、というなんとも皮肉な結果になったのです。

Kathy Kallick.jpg
その後貪り食うようにブルーグラスを集中的に聞くのですが一番よくきいたのはAlison Krauss とかKathy Kallick, Tammy Fasseartでしょう。
Tammy Fassaert のJust Passin' Throughなど超名盤なのでジャケット載せようと思ったらAmazonにジャケット写真もない!

大学生活も終わり、留学して帰ってきた僕はアランスミシーバンドを結成する訳ですが、振り返ってみると、自分たちがバンドで奏でてきた音楽っていうのは10代で染み込んだ王道的要素と、20代で浸かったカントリー&ブルーグラスが融合されているような気がするし、そういうようなコメントをくれる人が多い。

そういえば結成してまだ3年ぐらいのとき、以前ちらっとブログに書いた大阪のネストサルーンというライブハウスが閉じる時、最後だし記念に。。。と思って最後のネストでのライブを見に行ったことがあった。そのとき超満員の中でライブをしていたのが、ラブハンドルズだ。

その時若林氏と自分のつながりなど知る由もなくまさか数年後にこうして同じステージで共演することになろうとは思わなかった。
そして、今年のミナミホイールも同日ではないか!


く、クロッシング!




posted by Crossing Point at 22:36| 兵庫 ☁| Comment(0) | アランスミシーバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

バーガーショップセッション

さてさてまた再びアランスミシーバンドのかっしーです。
想い出話に花が咲きつつありますが、引き続き過去を赤面しつつ思い出しながら書いてみたいと思います。

音楽聞く人は皆そうだと思いますが、音楽と想い出というのは深く繋がっていますよね。これは僕の友人の話ですが高校生の時、初めての彼女の誕生日プレゼントとして、熟考した末に購入した巨大なぬいぐるみを満を持して渡したところ受け取りを拒否され、その際にムード作りに流していたホテルカリフォルニアが沈黙の二人を覆う様に延々と流れ続け、そのトラウマティックな想い出は今もこの曲を聴く度に鮮明に浮かび上がるとの事です。

あんまり関係ありませんが。

さてさて先述したアメリカンフォークソング部時代、カバーばかりを演奏していた僕には思い入れの強いカバー曲がいくつかあります。そこで、これまでのサンタラとの想い出深い曲を探してみました。

<It's So Easy / Linda Ronstadt>
クラブ時代の田村キョウコの曲と言えば僕の中ではコレです。
既存曲のカバーというのは、言い換えれば「それ、ほんまにあんたが歌わなあかんの?」という問いが出るか出ないか。それだけだと思います。
この曲など、初めて聞いたのが田村キョウコバージョンなので、オリジナルよりなじみ深いぐらい、自分のものにしていて、それはもう、憎らしかった。。。!

ちなみに余談ですが、僕はこれをきっかけにリンダロンシュタットに興味を持ち、数年後CD店で何も確かめずにベスト盤を買ったらオリビアニュートンジョンだった(名前のリズムが似ていて(?)だまされた)という忌まわしい記憶があります。

<Going back to Georgia / Nanci Griffith>
月日は流れ、サンタラとアランスミシーバンドとして初めての共演をしたのが、今は亡き大阪心斎橋のネストサルーンというライブハウスでした。
せっかくだからなんかやりましょう!という砂田氏の呼びかけで、なぜか二人とも何の迷いもなくこの曲を選んだのは非常に不思議でした。

リハをする時間がなくて、隣のバーガーショップでサンタラと練習。さぞ不気味な光景だったと思います。そして驚くなかれ。雑音とともにお楽しみ下さい。
その貴重な音源が。。。。

コレだ。  ワンツースリー



<Love Me Like a Man / Bonnie Raitt>
アランスミシー主催で開催したアコースティックイベントにゲストで出演してもらった際に実現したアランスミシーバンド+サンタラという形のセッション。砂田氏のアコギとヨウジ氏のギターも共演し、個人的に凄く想い出深いセッションです。

まだまだ挙げればキリがないのですが、カバーすることで鍛えられた我らにとってはこういった曲すべてが微妙に自分の創作に影響してるのではないかと思う次第です。今回のCrossing Pointでも、ラブハンドルズ、サンタラ、アランスミシーバンドという3組で何かいっしょにやれたらなぁと思っています!

ご期待ください!

 

posted by Crossing Point at 23:55| 兵庫 ☀| Comment(0) | アランスミシーバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

アランとサンタラ

アランスミシーバンドのボーカル、かっしーです。
普段人は僕の事を「ヒデ」と呼ぶ人も多いですが、ここではかっしーとします。
なぜなら、このブログではきっとそう呼ばれるからです。

ちうことでトップバッター、アランスミシーかっしーの目からみた「なれそめ」です!

僕らは京都外国語大学ということろで出会いました。
中学はテニス、高校は自転車競技部とスポーツをやっていた僕は、大学入学と同時に何かクラブに入ろうと思い立った訳ですが、今思うと何をどう思って突如そのクラブに入ったのかわかりません。

アメリカンフォークソングクラブ。

なんとなく名前が落ち着いた感じでよかったのと、年代がばれますが当時は空前のクラプトンのアンプラグドブームで、洋楽が好きだった僕はふと吸い込まれる様に部室見学にいきました。入り口のところに「アメリカ民謡研究会」と書いてある古びた看板があり、ははあ昔はこう呼ばれてたのかと思いつつ、そのネーミングにちょっと引いたのも覚えています。あと余談ですがその時同じ様に見学に来ていたSという新入生に、僕が「どうするん?はいるのん?」と聞いたら「いや、おれボディービルかここにするか迷ってるんよ」と言われ全く意味がわからなくて呆然とした、という記憶も付け足しておきます。結局このSとはその後入部以来ずっと同じバンドを組むわけなのですが。

本来はブルーグラスのようなルーツ音楽をやるクラブだったのが、だんだん音楽性が広がって行き、「とりあえず洋楽(カバー)をアコースティックでやってたら基本オッケー」という割に自由なスタンスのクラブでした。

貴殿の自伝などどうでもいい!という方、お待たせしました。ここでサンタラが出てきます。それは僕がこのクラブに入ってすでに3回生となったときです。今度入ってきた新入生にとんでもないのがいたのです。

それがあの田村キョウコでした。

声の出し方から音色から歌い回しから、マーなにしろとんでもない。本人はまるで意識してる様子もなく、いわゆる天性のモノで、嫉妬すら感じました。

「あ、歌手ってこういう人がなるんや」と心の中ではっきりと思ったのを覚えています。だから僕にとっては、今のサンタラ田村キョウコ、つまり歌を仕事にしているというのは当たり前の顛末なのです。

そして、砂田和俊。僕にとって衝撃の想い出があります。
それは、引退の時。といっても、自分の引退の時ではありません。
このクラブでは、3回生が引退するとき(クラブ活動は3年で終わりだったので)、2回生がオリジナル曲を作って全員で歌って送るという、学生らしい素敵な伝統がありました。普段カバーしかやらないこのクラブにおいて、オリジナルをやるというのは非常に大きい意味を持つことでした。
僕の引退の時はもちろん一年下の代がそれをやってくれました。曲に感動して、涙の引退だったのを覚えています。

そして、その僕の一年下の代が引退するとき、つまり田村&すなだの世代が送る立場だった時です。僕はすでに4年生OBでしたが、そのシーンを見ていました。

そのオリジナル曲を聞いて、僕はすでに部外者になっていたというのに、もう全身鳥肌が立つぐらい感動したのです。いや、むしろその瞬間なんやったら鳥になってたかもしれんというぐらいです。

その曲の作曲者が、すなだ氏だったのです。

それからずっと後、ちょうど僕もアランスミシーバンドで動き始めたころです。風の噂にサンタラのことを聞き、それが田村&すなだの組み合わせと聞いた時の僕はこう思いました。。。


「はやめに潰しておかねば。。。!」


というのは冗談ですが(というかこっちが潰される立場(笑))
とにかく余りにパーフェクトなコンビネーションであることは今さら僕が述べるまでもなく皆さんがご存知の通りです。


あれ?ラブハンドルズは?と思ってる方、驚くなかれ。
ラブハンドルズ若林氏は、なんと僕らが部室から目の前のグラウンドめがけて歌っている時、そのグラウンドでサッカーをしていたのです。。。!









posted by Crossing Point at 23:59| 兵庫 ☁| Comment(0) | アランスミシーバンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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