2008年10月15日

Crossing Pointを終えて

吉祥寺のCrossing Pointが終わってあっという間に10日が経ってしまいました。

楽しいライブでした。
ありそうで、なかなかないからよかったんだ。

今回のイベント趣旨的には、
「以前からの仲だったら頻繁に一緒にやったらいいじゃないか」
と思われそうですが、そんなに簡単なことではない。
何しろみんな自分のフィールドを持って活動している。
既に3つのバンドはもうそれぞれ次の動きを始めています。

それぞれの今後にもご期待ください。
そしてまた「Crossing Point」やれたらいいね。


サンタラ砂田
posted by Crossing Point at 17:34| 東京 ☁| Comment(0) | サンタラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

長きの不在

サンタラ砂田です。
ツアーで更新遅れ申し訳ない。

このブログを書いていると、思い出が次から次へととりとめなく溢れてきます。
しかしそれを一つ一つ書いていると自分たちよがりになってしまいそう・・・
実はそういう感じの方が好きですが、
そろそろライブが迫っているのでまとめに入ろうかと。

ルーツとはきっと誰しも持っているものだけれど、
なぜそれが自分にとってのルーツになったかというと
タイミングの妙としか言えません。
ちょっとでもずれていたらそこまで深くなれなかったかもしれない、あるいは全く興味を持てなかったのかもしれない。

その時出会った人たちも同じくで、
少しのタイミングのズレがただ通り過ぎただけの人に変えてしまったかもしれない。

結果論になりますが、
そういう意味でぼくたちは幸せです。

もしかしたら忘れてしまっているあの頃の空気の一部が今回のライブ会場で感じられるかもしれない。
それは見に来てくれる皆さんと一緒に出来上がってくんじゃないかと思っています。
みなさんよろぴくね!
posted by Crossing Point at 10:09| 兵庫 ☔| Comment(0) | サンタラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月03日

ブルース

サンタラすなだです。

かっしーさんも述べていたとおり、
クラプトンのアルバムUNPLUGGEDのブームが及ぼしたものは大きいです。
(実際にはリアルタイムより2,3年後でしたが)

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厳密には大学のそのサークルに入るまではあまり洋楽にのめり込んでいたわけではなかったので
サークルに入ってから必聴盤として先輩から聴かせてもらうことになります。


ギターに憧れる青年達は誰しもブルースの佇まいに惹かれてしまうのですぴかぴか(新しい)





↑これは3曲目に入っているビッグビルブルーンジーのカバーHEYHEY。
この曲のイントロを誰しもが鬼のように弾きました。
それこそ気でも違ったように。

このアルバムにはその他にもクラプトン自身がリスペクトしている戦前からのブルースマンのカバーが多数収められています。

サークルの掟として「アコースティック楽器のみ!」という括りがあったため、
これを発端に興味はアコースティックブルース、いわゆる戦前のミシシッピ・デルタ・カントリーブルースに限定されていきました。

余談ですが、この頃のCDの聴き方というのがひどかった。
周りはみんなレパートリー探しのためにいろんなCDを聴き漁っていましたが、
イントロでエレキギターの音が入っていると即座に曲を飛ばしていました・・・ふらふら
ほんとにひどい。
ボブディランのニューポートフォークフェスティバル事件並みです。



さて一番有名なその手のブルースマンというのがロバートジョンソンでしょう。
数々の伝説、謎だらけの人生、そしてギターテクニック、ボーカル、歌詞の世界も他のブルースマンと比べると
バリエーションに富み、なおかつ独特です。
そのクラプトンのUNPLUGGEDブームの煽りでCOMPLETE RECORDINGSという現存する全音源が収められたCDが
初めて世界発売されたのが1996年。


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河原町のビブレのタワレコで新譜として平積みされていたのを当時のぼくは大枚叩いて買ってしまいました。
ジャケットも魅力的だったし、何よりアーカイブ王としてはきっと当時から「COMPLETE」みたいなタイトルに弱かったんでしょう。
下宿に帰って聴くも最初は何の事やら、全部同じ曲に聴こえるし、音は悪いし、薄気味悪いし。
「つかまされたがく〜(落胆した顔)」と思いましたね。
でも何回か聴いているうちに・・・自然と・・・やはり抗いがたい魅力があるんでしょうな。
はまっていきました。
そこからはライナーを読んだりしていろいろなブルースマンに触れました。

ギター奏法という面でも野趣溢れるというか、思い切りのよさとか、ブラインド系のラグタイム、ボトルネックなどもその頃聴いたのかな。
何となくそれぞれのブルースマンの持ち味みたいなものを覚えていきました。

大学のサークル内ではぼくは特にブルースはやりませんでしたが、
その後、現在のサンタラ形態になり一本のアコギでいかに完結させるか
という命題の元ではこれらの奏法が非常に参考になりました。
田村のボーカルもそれにマッチしていた。
しかしサンタラを始めた頃は既にカバーは卒業。
あくまでオリジナル曲の味付けで顔を覗かす程度。
そうすると田舎のライブハウスの煩型バンダナひげ系おやじなどはよくこう言いました。


すなだくん、ブルース聴きなよひらめき

・・・今ではそういうおじさん方が大好きです黒ハート



そして数年後、デビュー時にサンタラにつけられたキャッチは

進化するフォークブルースぴかぴか(新しい)

いやーこっぱずかしい!

まあ自分がそんなブルースをやっているというつもりはありませんが、
影響を受けた音楽のひとつであり、
何よりブルースの聴き方っていうものをその頃知れたことはラッキーだったと。

本当はもっと話せますが、今日は絵文字も使ったことだし、このくらいにしといてやろう。
posted by Crossing Point at 00:36| 兵庫 ☁| Comment(2) | サンタラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

曲で振り返るたむら

皆さまようこそ特設blogへ。
サンタラ 田村キョウコです。

サンタラ、アランスミシーバンド、ラブハンドルズ
この三組の出会いっていうかすれ違いっていうかそのあたりは
それぞれのメンバーが初回に書いてくれてますので
それは彼らに預けるとして
私は私自身が音楽という非日常を日常としてしまった
その顛末を「思い出の一曲」「思い出のアルバム」とともに書いていこうと思います。

大学にてアメリカンフォークソング部(通称アメ民)に所属するまで
音楽とは無縁でした。
思いっきり庶民な親の期待を背負って3歳でピアノを始めたものの
まったく興味が持てず、小学校にあがる頃には辞めてしまっていたし
学校の音楽実技のテストなんて
歌が上手い方が恥ずかしいと思って
教科書に載っている一番短い曲すなわち「君が代」を選び歌った記憶があります。
ただ短いというだけの理由で「君が代」を選ぶ
幼い私のノンポリさに腹が立ちますが、もう大人なので笑って忘れることにします。

さて、思春期は誰だって音楽を楽しみます。
いくら私でも例外ではありません。
サザンオールスターズが大好きでした。
当時のサザンは
今現在のお年寄りから子供までといった国民的大スターの雰囲気ではなく
あくまで大人のバンド。
クラスの友達にファンはいなかったように思います。
私にサザンを教えてくれたのは親戚の姉ちゃんで
特にファーストアルバム「熱い胸さわぎ」は今でも愛聴しておるよ。
桑田メロディーにはふんだんにブルースフィーリングが盛り込まれていて
子供ながらにそこんとこをかっこいいと思ったものです。一曲なんて選べない。全部いい。
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高校に入ってからは
実家近くにある米軍基地のラジオをよく聴いていました。
なぜならうちの背後には山があって国内放送の受信状態が悪かったからです。
学校から帰ってなにげなくラジオをつけると
その時間ちょうど放送していたのが
50年代〜60年代のヒット曲で
まるで映画「STAND BY ME」のような音楽がかかっていました。
その影響で一番好きだったアルバムは
「American Graffiti」のサントラ盤です。これも今でもよく聴く。
american.jpg
もちろん並行してアイドルやその時々にヒットしていた曲だって聴いてたわけですが
流行っている時期を過ぎれば忘れてしまう。
今思えば上記二つの要素が私の音楽的ルーツの一部であります。

さて大学入学直後
クラブ見学会でかっしー先輩率いるアメ民部員の演奏を見て衝撃。
(アメ民に関しては以前の記事をごらんください)
「3週間でギター弾けるようになるよ!」と言われてに入部した私ですが
当然ながら3週間でギターが弾けるはずもありません。
我々新入生がうすうす騙されたことに気付く時期には
学内デビューライブという身の毛もよだつ通過儀礼が予定されており、
そのためとりあえず必死に練習するわけで
このクラブは新入生が辞めようと思う一番最初の機会を逃す仕組みになっておるのです。
そしてこの通過儀礼ライブを経験することによってバンド内の結束は固くなり
それによって余計に辞められなくなります。
そのうちギター買うのについていってやると言われ、まんまとギターを買わされる。
そして気付いた頃にはルーツミュージックとクラシックロックの泥沼にどっぷり浸かってしまう。
というわけでかっしー先輩達は我々を言葉巧みにを騙して入部させ
小粋な演奏を繰り広げ、思い出を植え付けて
その挙句「がんばれよー」と言い残しあっという間に引退していきました。
「ひどい!」
取り残された我々後輩は、その腹いせに、翌年春
「ギターは3週間で弾けるようになるよ!」と新入生を勧誘したのです。
その頃一番よく聴いたアルバムは
Maria Muldaurかな。名盤です。邦題は「ミート・ミー・アット・ミッドナイト」
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ちなみにかっしー先輩の引退後、一時持ち直していたと言われていたアメ民の風紀は
サイクロンのように乱れました。
我々部員は魔窟(クラブBOX)に入りびたり
日々、生まれる前の時代の音楽を聴き狂い、必要以上に歌いギターを奏で、
酒を飲み吐き踊り、ホカ弁の食べ残しを撒き散らし
火をたき時には花火を打ち上げ、
恋が生まれ破れ、ケンカし仲直りしてテストを逃して留年する者が続出し
周囲の人間には「妖精」「最後の無頼」「デスペラード」と揶揄される自堕落な学生生活を送っていました。
その頃一番聴いたのはCSNYの「デジャヴ」かBob Dylanのベスト盤。
csn.jpg
dylan.jpg
しかしそんなアンタッチャブル達にも容赦なく世間の荒波が押し寄せます。
彼らは泣く泣く楽園(魔窟)を後にし、就職、留学などそれぞれの道を歩みはじめました。
が、残念なことに私は筋金入りの妖精、言うなれば妖精の親玉だったので
やはり音楽をやめることはできなかったのです。
ギターが上手だった砂田くんもリアル妖精だったようで、
互いの利害関係が一致して
サンタラとなっていきました。
早く人間になりたい。
その頃ラブハンドルズのデモテープを若林さんにもらって触発され
オリジナルを作る事により力を入れました。

そのうち自主制作していた音源が業界関係者の耳にとまり
なんだかデビューが決まりました。
その頃かっしー先輩は帰国してバンドを作ったばかりで
先輩の声がまた聴けて、初期ファンとしては嬉しかったものです。
ルーツミュージックで燻製されたようなサンタラの音楽は珍しがられ
京都を飛び出して色んな方々に愛されて今に至ります。ありがとう。
でももっと可愛がられたらいいのに、と思います。

8/24今週の日曜日は久しぶりに思い出たっぷりの京都でライブです。

ではまたね。
posted by Crossing Point at 21:46| 兵庫 ☀| Comment(3) | サンタラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

京都での出会い

サンタラすなだです。
思い出しながら書いてみます。
キリがないのでなるべく手短にするつもりだけど、どうなるにゃら・・・

音楽に目覚めた十代のぼくは
中学〜高校と学校ではパンク・ガンズなどをレパートリーとするお笑いバンドで遊び
家に帰れば歌本とアコギで尾崎・長渕といういわゆる雑食ぶり。
アルフィーも好きで、特にラジオなどで生演奏されるCSN(&Y)やサイモン&ガーファンクル、アメリカなども
気になりつつも情報を得られないという状況で過ごしてきました。

そしていわゆる合法的家出、大学進学を果たし京都へ。
キリがいいんだか悪いんだかよく分からない平安京遷都1200年記念という強引なお祭り気分の残り香が漂っていたなー。

入学するとすぐにクラブ紹介なるものが催され、
前の記事で出てきたアメリカンフォークソングクラブを知ることになります。
そこでは興味はあるのに知ることのできなかったいわゆる60年代のアメリカンミュージック(CSN、S&Gなど)に加え
聴いた事もなかったブルーグラス、ブルース、カントリー、その他グッドタイムミュージックの生演奏。
それも上手い。
衝撃でした。

これはおれも入らなければいけない。とは思ったものの、
若気の至り、練習時間の厳しさなどが気になりいわゆる新入生歓迎の時期の入部を逃し
悶々とした約一年間を過ごすことになります。

その後意を決して入部したのですが、
当時の部長が現アランスミシーかっしーさん、そして同級生の中でも特別ふてぶてしい田村キョウコがいました。
かっしーさんはアメリカンロック〜カントリーをレパートリーとし、いわゆる本格派歌唱、ものすごい声量。
さすが大学生と思いました。

話は変わりますが、ラグビーには日本選手権というのがあります。
今でこそ差はついてしまいましたが、当時大学生チームが社会人チームに勝つことも多く、
日本代表の中にも大学生選手が数多くいました。
高校時代ラグビー部だったぼくはその事実を「大学生=おとな=プロも食う」と認識。(今もあながち間違っていると思っていない)

まさにそれを地で行っていたのがかっしーさんの歌唱。
とにかく目立つ歌。クールな佇まい。

田村もそうでした。
今まで歌もそこそこ歌える気でいた(恥ずかしい)ぼくはたちまち自信喪失したのでした。

6.jpg

クラブ内ではバンドを組んで活動するのが基本。
かっしーさんはクラブを引退し、バンドを解散し留学。

そう、外国語大学だから留学する学生が多いんです。
田村もぼくもクラブ内でそれぞれバンドを組んでいましたが、
留学、引退、就職活動、言えない理由、飽きちゃった、など様々な理由で周囲の人間は離れていきました。

残った者同士でバンドを作った時(初めて田村と同じバンドをやることに)すでにクラブは引退していたため、
ライブハウスへと飛び出していきました。

ライブ会場では健気にアンケート用紙を配布し
その日のライブの感想などを募っていたのですが、必ず用紙を回収するとある名前が。
姿は見たことがないが、ほぼ100パーの出席率。
その名は「若林利和」(ラブハンドルズ)
posted by Crossing Point at 22:25| 兵庫 ☀| Comment(0) | サンタラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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