2008年08月11日

京都での出会い

サンタラすなだです。
思い出しながら書いてみます。
キリがないのでなるべく手短にするつもりだけど、どうなるにゃら・・・

音楽に目覚めた十代のぼくは
中学〜高校と学校ではパンク・ガンズなどをレパートリーとするお笑いバンドで遊び
家に帰れば歌本とアコギで尾崎・長渕といういわゆる雑食ぶり。
アルフィーも好きで、特にラジオなどで生演奏されるCSN(&Y)やサイモン&ガーファンクル、アメリカなども
気になりつつも情報を得られないという状況で過ごしてきました。

そしていわゆる合法的家出、大学進学を果たし京都へ。
キリがいいんだか悪いんだかよく分からない平安京遷都1200年記念という強引なお祭り気分の残り香が漂っていたなー。

入学するとすぐにクラブ紹介なるものが催され、
前の記事で出てきたアメリカンフォークソングクラブを知ることになります。
そこでは興味はあるのに知ることのできなかったいわゆる60年代のアメリカンミュージック(CSN、S&Gなど)に加え
聴いた事もなかったブルーグラス、ブルース、カントリー、その他グッドタイムミュージックの生演奏。
それも上手い。
衝撃でした。

これはおれも入らなければいけない。とは思ったものの、
若気の至り、練習時間の厳しさなどが気になりいわゆる新入生歓迎の時期の入部を逃し
悶々とした約一年間を過ごすことになります。

その後意を決して入部したのですが、
当時の部長が現アランスミシーかっしーさん、そして同級生の中でも特別ふてぶてしい田村キョウコがいました。
かっしーさんはアメリカンロック〜カントリーをレパートリーとし、いわゆる本格派歌唱、ものすごい声量。
さすが大学生と思いました。

話は変わりますが、ラグビーには日本選手権というのがあります。
今でこそ差はついてしまいましたが、当時大学生チームが社会人チームに勝つことも多く、
日本代表の中にも大学生選手が数多くいました。
高校時代ラグビー部だったぼくはその事実を「大学生=おとな=プロも食う」と認識。(今もあながち間違っていると思っていない)

まさにそれを地で行っていたのがかっしーさんの歌唱。
とにかく目立つ歌。クールな佇まい。

田村もそうでした。
今まで歌もそこそこ歌える気でいた(恥ずかしい)ぼくはたちまち自信喪失したのでした。

6.jpg

クラブ内ではバンドを組んで活動するのが基本。
かっしーさんはクラブを引退し、バンドを解散し留学。

そう、外国語大学だから留学する学生が多いんです。
田村もぼくもクラブ内でそれぞれバンドを組んでいましたが、
留学、引退、就職活動、言えない理由、飽きちゃった、など様々な理由で周囲の人間は離れていきました。

残った者同士でバンドを作った時(初めて田村と同じバンドをやることに)すでにクラブは引退していたため、
ライブハウスへと飛び出していきました。

ライブ会場では健気にアンケート用紙を配布し
その日のライブの感想などを募っていたのですが、必ず用紙を回収するとある名前が。
姿は見たことがないが、ほぼ100パーの出席率。
その名は「若林利和」(ラブハンドルズ)
posted by Crossing Point at 22:25| 兵庫 ☀| Comment(0) | サンタラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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